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Ring Story

innocent ゆびわ言葉®: 初々しさ

2018.05.31

「えーっと、入居は来月だから、今月中には今の家の大家さんに連絡して、それから…」

不動産屋さんを出た私は、さっき聞いてきたことを忘れないようにメモをとる。
メモをとるのは社会人の基本だ。
社会人になってからもう3年は経っているけれど、初心を忘れてはいけない。
それに私はただでさえ忘れっぽいので、そういう意味でもしっかりメモをとっておく。

「まずは契約書書いてからだけどな。それに、色々手続きもあるし」

横から補足を入れてくれるのは、これから一緒に暮らす人である清志(きよし)。
3歳年上の彼は同じ会社で働く営業マンで、私の恋人で、それから…もうすぐ、夫になる人だ。

「…ていうか、オイ。手にメモをするな。
必要なことはちゃんともらってきた紙に書いてあるから」
「え、でも…」
「お前が忘れっぽいのは知ってるけど。でも紙に書いてあるし、俺も覚えてるし、大丈夫だから」

私が手にメモをしていたことに気づいた清志は、そう言って私の左手を掴み、ペンで書かれている文字を消そうとする。
容赦なくごしごしと擦られる左手…その薬指には、もらったばかりの指輪がはまっている。

真ん中のダイヤモンドがキラキラと輝く、シンプルで可愛い指輪。
THE・婚約指輪って感じのこの指輪をプロポーズの言葉と共に差し出されたとき、まるでドラマみたいなプロポーズだと思って、すごく感動したんだ。

だから、こうしてふとした瞬間に指輪を見るだけで、すぐにあの時のことが蘇ってくる。
結婚して下さいと言った清志の、少し恥ずかしそうで、不安そうな表情。
私が返事をしたときのほっとした表情と、指輪を通してくれたときの汗ばんだ手。
指輪のサイズがぴったりだったことに私はびっくりして、それから…。

「よし、消えた!」
「えっ」

ぺち、と軽く手を叩きながら清志がそう言ったのを聞いて、私はふっと我に返る。
左手を見ると、いつの間にかメモは綺麗さっぱり消えてしまっていた。

「せっかく書いたのに…」

消えてしまったメモを惜しみながら私がそう呟くと、清志ははあ、と大きなため息をついて言った。

「…まったく、お前は新入社員の頃から変わってないよなぁ」
「え?」
「何でも手にメモする癖。あの頃なんか特に、言われたことを一字一句逃さず全部メモしてたよな」
「だって、あの頃はよくわからなかったから、全部大事なことだと思ってて…」
「うん、まあ、その一生懸命なのが伝わってきたから、守ってやりたくなったんだけどな」

清志いわく、営業事務の新入社員として入社した私は他の人以上に初々しくて、それがなんだか妹のように思えて、守りたくなったのだそうだ。

でも、私からすれば、清志は最初からずっと優しく頼れる男の人だ。
だから私はすぐに恋に落ちたけど、彼は最初の頃、私の告白をまともに受け取ってくれなくて…。

それから振り向かせたくて頑張ること3年。
やっと今、彼が恋人として、私の側にいてくれる。

「でも、やっぱり梨乃(りの)は俺の妹とは違うし、たぶん好きだったんだろうな、最初から」
「…!」

そんなことがあったから、恋人として彼が言ってくれる言葉は、全部私にとって大事な大事な宝物だ。
一音だって忘れたくないから、この言葉もしっかりメモをとっておく。

「…おい、何メモしようとしてる」
「え、今の言葉を」
「書かなくていいっつーの」

清志は呆れた表情で、今度は私のペンを持つ右手を掴んで文字を書けないようにした。
そしてもう一度ため息をつき、僅かに目を逸らしながら言葉を続ける。

「…こんな言葉でいいなら、これから毎日、言ってやるから」
「え?」

彼の言葉の意味がすぐにわからなくて、私は少し考えて…。
それから、彼が持っている紙を見て、家を探していたことを思い出す。

そっか、私たち、これから一緒に暮らすんだ。
そのために家を探してたんだ。
ということは、これから毎日、清志と一緒にいられるんだ…。

「…嬉しい」

急に実感が湧いてきて、私は思わずそう呟く。
そして、清志に向かって、深々と頭を下げる。

「ふつつか者ですが、これからよろしくお願いします!」

突然頭を下げた私に、清志は「こちらこそ」と答えて笑った。
私はその何より嬉しい5文字の返事を、一生忘れないよう心にしっかりメモをした。

innocent ゆびわ言葉<sub>®</sub>: 初々しさ

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