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Ring Story

canoe ゆびわ言葉 ®: 君を守る

2018.07.15

夕暮れの河川敷に、彼女の涙が煌めいた。

その時、本当は彼女に何か声をかけるべきだった。
それなのに、その涙があまりに綺麗に見えたせいで、俺はその場で固まってしまった。

驚く俺の顔を見た彼女は、慌てて涙を手で拭った。
「ごめんなさい、あの、このことは、秘密にして下さい」
彼女は早口でそう言うと、あっという間に俺の横を通り過ぎ、どこかに走り去っていってしまった。


ある日の仕事帰り、俺は偶然、河川敷で一人涙を流す女性を見つけた。
彼女…本田文乃は、勤めている職場に臨時職員としてやってきていた女性だった。
それまでの俺の彼女に対する印象は、『いつも笑顔で一生懸命働いている子』だった。
だからこそ、彼女が涙を流していた理由が、俺はどうしても気になった。

秘密と言われてしまった以上、もう一度あの日の出来事について尋ねるわけにもいかない。
でも、やっぱり気になる…そう悶々としていたある日、俺は再び、偶然職場の給湯室で涙を流す彼女を発見してしまった。

「…本田さん?」
「…!」

彼女に声をかけた俺は、泣いている理由がずっと気になっていたことを正直に話した。
教えて欲しいと頼むと、彼女は少し迷った後、小さな声でこう切り出した。

「今の仕事は楽しいし、幸せなんですけど…。
…どうしても、時々、涙が出てきてしまうんです」

そして、彼女は話してくれた。
新卒で入社した会社でパワハラに遭っていたこと。
追い詰められて心を病み、しばらく休養していたこと。
そこから転職先が見つからず、やっと就けたのが今の臨時職員の仕事であること。
今の仕事は楽しいけど、働いているとどうしても時々昔のことがフラッシュバックしてしまい、涙が出てきてしまうということ。

「そっか…。ごめんね、辛いこと聞いちゃって」

彼女の話を聞いた時、俺は興味本位で理由を聞きたいと思ったことを心底後悔した。
彼女にとっては、思い出すことすら辛い記憶のはずなのに…。

「…いえ。乗り越えたくて、頑張ってるので」

でも、そんな辛い過去を、彼女は乗り越えようとしていた。
ずっと笑顔で働いていたのも、変わりたいと頑張っていたからだった。

俺はそんな彼女を心底尊敬した。
そして同時に、事情を知ってしまったからには、彼女のために何かしてあげたいと思った。


彼女の力になりたいと思った俺が、最初にはじめたこと。
それは、昼休みに彼女に会いに行き、一緒にお昼ご飯を食べることだった。

俺は他の人を避けるように一人でご飯を食べていた彼女を外に連れ出し、毎日一緒にお昼を食べた。
そしてその場で、俺は毎日、新作のダジャレを彼女に披露した。

彼女は俺の下らないダジャレにも笑ってくれた。
「無理に笑わなくていいから」と言ったけど、「毎日一生懸命考えてくれるのが面白くて」と彼女は嬉しそうに笑った。
毎日無理やり連れ出して迷惑かと思っていたけど、そんなことなかったみたいで、ほっとした。

もっと彼女の笑顔が見たくて、俺は休みの日も彼女を外に連れ出すようになった。
はじめて彼女を誘って行ったのは映画館だった。その日、本当はコメディ映画を見ようと思っていたのに、俺が時間を間違えたせいで、ラストが切ない恋愛映画を見ることになってしまった。
映画を見て彼女はぼろぼろ泣いた。笑顔にするつもりが、思いがけないところで彼女を泣かせてしまった俺は、ものすごく慌てた。

でも彼女は、泣きながら喜んでいた。
「感動して泣いたのは久しぶり」と泣きながら言った彼女は、「ありがとう、総介」と、はじめて俺の名前を呼んでくれた。

彼女が喜んでくれるのが嬉しくて、俺は次の週も彼女を誘った。
その次の週も、更にその次の週も誘った。
そうして、気付けば俺達はいつも一緒にいるようになった。
その頃にはもう、彼女は涙を流さなくなっていた。


仲良くなってもうすぐ1年が経とうという頃、文乃の臨時職員としての雇用期間が終わった。
俺は無事仕事を終えた彼女に、「1年頑張ったからお祝いのプレゼントをあげたい」と言って、近くの河川敷に連れ出した。
そして、あの日と同じオレンジ色に輝く夕日の下で、俺は彼女に指輪をプレゼントした。

「canoeっていう指輪なんだ。
川を進んでいく小舟みたいに、漕ぎ出せたらいいと思って。もっと文乃が幸せになれる未来に」
「…勿体ないよ、私なんかに、こんなの」
「勿体なくないよ。俺が文乃にあげたくて買ったんだから」

俺は遠慮する彼女の手を取って、そっとcanouの指輪を通した。
細身でシンプルだけど可愛い指輪が、彼女の指にはまっていく。
すると、その様子を黙って見つめていた彼女の瞳が、じわりと潤みはじめた。


夕暮れの河川敷に、彼女の涙が煌めいた。
今度こそ何か言おうとしたけれど、その涙が言葉を失うほど綺麗に見えたせいで、俺はまたもやその場に固まってしまった。

俺の顔を見た彼女は、あの時と同じように「ごめんなさい」と言った。
それから、ゆっくりと首を横に振り「…ありがとう」と言い直した。

canoe ゆびわ言葉 ®: 君を守る

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