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Ring Story

ruscello ゆびわ言葉®: ゆっくりいこう

2017.09.02

「誠せんせい~!!」

突然アトリエの扉が開き、目と鼻を真っ赤にした瑞希が僕の元に駆け寄ってきた。僕は絵筆を脇に置き、溢れる涙ごと彼女を抱き留める。

「どうした、瑞希?」

頭を撫でながら何があったのか尋ねてみるものの、彼女は泣くばかり。
…こういう時は、あの場所に行くしかないな。僕は小箱と車のキーを手にとって、瑞希を助手席に乗せた。

良く晴れた平日の昼下がり。
ようやく泣き止んだ彼女は釜無川の側の草むらに座り込み、泣いていた理由を話し始めた。

「野菜のこと、全然わかんないんだよね…。習ってはいるんだけど、
まだ良い状態とダメな状態の区別がつかないし、ダメになってきてる原因が病気なのか、天気のせいなのか、一人じゃわからなくて。
実際に農家をやっていくなら全部自分で管理しなきゃいけないけど、私にできるか、不安になっちゃって」

絵画教室の元教え子で、今は彼女である瑞希は、一週間前から農業体験に通っている。
実家が農家であるわけでもなく、一年前までは東京でイラストレーターの仕事をしていた彼女が、何故急に地元で農家を始めることにしたのか理由は聞いていない。
だが、彼女が頑張っている限り、僕は応援し続けようと決めている。

「…瑞希。僕が絵を描き始めたきっかけの話、覚えてる?」
「イタリアの美術館、だっけ?」
「そう。小さい頃にフィレンツェで見た絵画がきっかけだったんだけど…本当はもうひとつあるんだ」

僕は目を閉じて、あの小さな田舎の村のことを思い出す。

「フィレンツェの近くに、ローロチュッフェンナ村っていう小さな村があって、旅行中にそこに寄ったんだ。
豊かな緑と教会、それから大きな川があって、水車小屋があって。他愛もない風景だけど、僕には何より美しく見えた。僕もこんな風景を描けたら…そう思ったんだ」

「瑞希にも、そういうきっかけはある?」
きっかけを思い出せば瑞希も頑張れるのでは、と瑞希の顔を覗き込むと、彼女は少し口元を綻ばせ、ゆっくりと話し出した。

「一年前にも、こうして誠が川に連れてきてくれたことがあったでしょ?東京での仕事に疲れて、泣きながら帰ってきたとき」

懐かしむように目を細めて、彼女はゆっくりと流れる目の前の小川を見る。

「あの時、すごく優しいなって思ったの。
誠が優しくて、草も川も風も山も、みんな優しい。両親も周りの人も、みんな。
だから私も、ここで自然に囲まれてできることをしたいって思ったの。それが農業だった」

バンダナに作業着、小麦色の肌に、化粧っ気のない顔。
それでも、いつでも真っ直ぐ前を向く彼女の横顔は、どんな女性よりも美しく見えた。

「最初にそう思ったんだったら、それを忘れなければ、きっと大丈夫。
僕たちも仕事も、ゆっくりいこう」

僕は彼女の頭を優しく撫でながら、手のひらに小箱を乗せた。
彼女が箱を開くと、そこから今日の小川のように、美しく光る指輪が顔を覗かせた。

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